昭和のお母さん
今夜、夕食後に何気なくテレビを観ていました。イイ番組に出会えました。
久しぶりに心が静かに熱くなるような番組でした。
懐かしいっていうか、昔の臭いとか音とか見た物が一瞬で記憶に戻ってくる感じ。

NHK BS-2で夜8時からやっていた「お宝TVデラックス 日本のお母さん」。
昨年から放映されていた番組のようですが、今夜初めてその存在を知りました。
扱う題材もNHKで放映されたものに限られているわけではなく、
昭和のお母さん像の代表のような番組を紹介し、ゲストから当時のこぼれ話を
語ってもらいます。
人気ドラマの「おはなはん」「肝っ玉かあさん」「あぐり」や
20年前に放映した13人の子だくさん大家族のその後などを
次々と紹介していきます。
途中からチャンネルを合わせたので、最初の方を見逃してしまったのが
惜しく思える内容でした。
BS-2の公式サイトを見ると、これは1年以上前に始まった番組で
今年からリニューアルしたようです。
過去のテーマを見ると、けっこう興味深いものがあるんですよ。
もっと前からこの番組、観たかったです・・・
改めてアタシが知らないことは多いと痛感してしまいました。
過去のテーマとゲストはこちら→お宝TV放送記録
番組を観ていて、自分の子供の頃のこととかを久しぶりに思い出しちゃいました。
番組で扱っていた「日本のお母さん」って、「昭和のお母さん」ってイメージでした。
アタシのママを昭和のお母さんと呼ぶのは、少し世代としてズレている気がするので
アタシにはおばあちゃんを思い出す方がしっくりきます。
なので、ママとの思い出は別の記事で
小さい頃はずっとおばあちゃん子でした。
そのため2歳くらいから、おばあちゃんたちがするいろいろな遊びをしました。
平日の日中から温泉巡り、落語の寄席、大衆劇場、お墓参り、神社仏閣巡り、
友達宅訪問、親戚宅訪問などなど・・・
この頃、和菓子を与えられすぎて、一時期は和菓子恐怖症になってました。
おばあちゃんやそのお友達は、子供を観るといっぱい和菓子を与えてくれます
おばあちゃんは赤坂生まれの赤坂育ち、子供の頃から歩いて行ける銀座で
銀ブラ(銀座でブラブラ)して育ったオシャレな人でした。
なのでアタシはワケも分からず、どこの街に出掛ける時も
お出掛け=銀座と言うのだと思い、ちょっと大きめの商店街に行くだけでも
「ぎんじゃ行こう、ぎんじゃ行こう」と言っていました。
お出掛けしようって意味なんです。
また、女学校で現在で言う家庭科のような科目の師範をしていたためか、
おばあちゃんは大正生まれにしては珍しい西洋料理の達人でした。
カレー、シチュー、ハンバーグ、コロッケ、パスタ料理などを
アタシのママは子供の頃から何でも作ってもらえたみたいです。
カレーやシチューは、市販のルーなど一切使わずに自らルーを調合していたので
ご近所さんにレシピを教えたり、ルーをお裾分けしたりしてました。
今から50年以上前には珍しい貴重な人だったんですね。
その後、徐々に西洋料理を作る家庭が一般にも増えていったと聞いています。
そのおばあちゃんも、若くして20年前に亡くなりました。
そこでおばあちゃんとの記憶が止まっているためか、
アタシにとっては「昭和のお母さん」っておばあちゃんのイメージです。
そのおばあちゃんに育てられたママも今年37年間続けた仕事を引退しました。
いつも忙しかったのに、アタシたち姉弟を育て上げた上に
今年まで仕事を続けていました。
1番キツかったのは、アタシたちが中学生の頃。
早朝に起きて毎日二人分のお弁当を作り、忙しい仕事をして、
夜には塾の送り迎えをしていた時だと聞いています。
本当にご苦労様です。
明日は母の日。「日本のお母さん」は、母の日にちなんでのテーマだったのですね。
子供の頃を思い出せる貴重な機会となりました。
久しぶりに心が静かに熱くなるような番組でした。
懐かしいっていうか、昔の臭いとか音とか見た物が一瞬で記憶に戻ってくる感じ。

NHK BS-2で夜8時からやっていた「お宝TVデラックス 日本のお母さん」。
昨年から放映されていた番組のようですが、今夜初めてその存在を知りました。
扱う題材もNHKで放映されたものに限られているわけではなく、
昭和のお母さん像の代表のような番組を紹介し、ゲストから当時のこぼれ話を
語ってもらいます。
人気ドラマの「おはなはん」「肝っ玉かあさん」「あぐり」や
20年前に放映した13人の子だくさん大家族のその後などを
次々と紹介していきます。
途中からチャンネルを合わせたので、最初の方を見逃してしまったのが
惜しく思える内容でした。
BS-2の公式サイトを見ると、これは1年以上前に始まった番組で
今年からリニューアルしたようです。
過去のテーマを見ると、けっこう興味深いものがあるんですよ。
もっと前からこの番組、観たかったです・・・
改めてアタシが知らないことは多いと痛感してしまいました。
過去のテーマとゲストはこちら→お宝TV放送記録
番組を観ていて、自分の子供の頃のこととかを久しぶりに思い出しちゃいました。
番組で扱っていた「日本のお母さん」って、「昭和のお母さん」ってイメージでした。
アタシのママを昭和のお母さんと呼ぶのは、少し世代としてズレている気がするので
アタシにはおばあちゃんを思い出す方がしっくりきます。
なので、ママとの思い出は別の記事で

小さい頃はずっとおばあちゃん子でした。
そのため2歳くらいから、おばあちゃんたちがするいろいろな遊びをしました。
平日の日中から温泉巡り、落語の寄席、大衆劇場、お墓参り、神社仏閣巡り、
友達宅訪問、親戚宅訪問などなど・・・
この頃、和菓子を与えられすぎて、一時期は和菓子恐怖症になってました。
おばあちゃんやそのお友達は、子供を観るといっぱい和菓子を与えてくれます

おばあちゃんは赤坂生まれの赤坂育ち、子供の頃から歩いて行ける銀座で
銀ブラ(銀座でブラブラ)して育ったオシャレな人でした。
なのでアタシはワケも分からず、どこの街に出掛ける時も
お出掛け=銀座と言うのだと思い、ちょっと大きめの商店街に行くだけでも
「ぎんじゃ行こう、ぎんじゃ行こう」と言っていました。
お出掛けしようって意味なんです。
また、女学校で現在で言う家庭科のような科目の師範をしていたためか、
おばあちゃんは大正生まれにしては珍しい西洋料理の達人でした。
カレー、シチュー、ハンバーグ、コロッケ、パスタ料理などを
アタシのママは子供の頃から何でも作ってもらえたみたいです。
カレーやシチューは、市販のルーなど一切使わずに自らルーを調合していたので
ご近所さんにレシピを教えたり、ルーをお裾分けしたりしてました。
今から50年以上前には珍しい貴重な人だったんですね。
その後、徐々に西洋料理を作る家庭が一般にも増えていったと聞いています。
そのおばあちゃんも、若くして20年前に亡くなりました。
そこでおばあちゃんとの記憶が止まっているためか、
アタシにとっては「昭和のお母さん」っておばあちゃんのイメージです。
そのおばあちゃんに育てられたママも今年37年間続けた仕事を引退しました。
いつも忙しかったのに、アタシたち姉弟を育て上げた上に
今年まで仕事を続けていました。
1番キツかったのは、アタシたちが中学生の頃。
早朝に起きて毎日二人分のお弁当を作り、忙しい仕事をして、
夜には塾の送り迎えをしていた時だと聞いています。
本当にご苦労様です。
明日は母の日。「日本のお母さん」は、母の日にちなんでのテーマだったのですね。
子供の頃を思い出せる貴重な機会となりました。
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